徳富蘇峰について

 前回の話の続きです、徳富蘇峰が同志社在籍の頃、学生騒動に巻き込まれて同志社英学校を卒業目前に中退しました。
それからは、郷里の熊本相愛社に入り自由民権運動に参加を致しました。
この頃、彼は、自由思想を学び平民主義の思想を形成してゆく平等主義、平和主義を唱えるようになってゆきます。
特に、平民主義においては、社会の実業家の力を持って日本の近代化を達成、実現を目指してゆくという思想であります。
これが、明治14年頃ですが、この時代に彼は、大江義塾に鹿児島県の宮之城からも将来の日本を考えている若き青年たちを塾生にしておりました。
この時代背景には明治10年に西南戦争終結後の鹿児島県に於いての武力を用いて社会を変えるのでは無く
言論に於いて社会を変えるという自由民権運動が盛んになり始めていた時代でもあります。

次回に続きます。
豊水

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